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名古屋地方裁判所 平成4年(ヨ)304号 決定 1992年11月10日

債権者

村井不二男

右代理人弁護士

平田省三

村井正義

債務者

学校法人愛知医科大学

右代表者理事

新美富太郎

右代理人弁護士

佐治良三

建守徹

主文

一  債権者の申立てをいずれも却下する。

二  申立費用は債権者の負担とする。

理由

第一申立ての趣旨

一  債権者が債務者に対し、雇用契約上教授としての地位を有することを仮に定める。

二  債務者は債権者に対し、平成四年四月以降毎月二五日限り一か月金五三万七一四〇円の割合による金員を仮に支払え。

第二事案の概要

本件は、債務者大学の教授である債権者が、平成四年三月三一日をもって満六五歳に達したことにより債務者大学を定年退職したものとして、教授としての職務に就くことを拒絶されているけれども、債権者と債務者との間の特約等により債権者の定年は七〇歳とされていたものであるから、なお教授としての地位を有するものであるとして、債権者から債務者に対し、債権者が債務者の教授としての地位にあることを仮に定めるとともに、賃金の仮払いを求めた事件である。

一  当事者間に争いがない事実

1  債権者は、昭和二年一月一九日に生まれ、昭和二六年三月京都大学医学部薬学科を終了後、大阪市立大学理学部助教授(昭和四三年七月退職)、株式会社資生堂研究所研究室長(昭和四六年三月退職)を経て、昭和四六年四月一日学校法人両国学園より、愛知医科大学設立準備委員を命ぜられ、同年一二月二五日同大学の設置認可後、昭和四七年二月一日債務者大学の化学教授に就任した。なお、債権者はそれより前の昭和四五年一一月、債務者が愛知医科大学医学部設置認可の申請をするに際し、同大学が設置認可されることを条件として、医学部化学科教授として就任する旨を承諾した。

債権者は、天然物有機化学を専門とし、昭和三七年七月理学博士号(大阪大学)を授与されている。そして、債務者からは毎月手取り五三万七一四〇円の給料の支払いを得ている。

2  債務者は、昭和三九年一月一三日設立の学校法人飯田学園を前身とし、同年八月二七日学校法人両国学園、昭和四七年一月八日学校法人愛心会、昭和五二年一二月五日学校法人愛知医科大学と順次名称を変更し、医科大学等の学校教育を目的としてきた学校法人である。

3  債務者は、昭和四八年四月一日付をもって就業規則を制定施行し(<証拠略>)(以下「本件就業規則」という)たが、同就業規則二三条には「1 大学教員のうち、教授および助教授の定年は六五歳とする。」、「4 この定年の規定は理事長および理事長が特に必要と認めた者を除きすべての職員に適用する。」、「5 理事長は、定年退職した職員のうち、学園の業務運営に必要があると認めた者について、顧問、客員教授又は嘱託として任期を定め委嘱することがある。」との定年に関する定めがあり、その附則には、「第二三条に規定する定年の経過措置は次のとおりとする。(1)大学設置認可の条件となっている教授で、学園に就任時六〇歳をこえている者は、定年後七〇歳に達するまでの期間特別に支障のない限り再雇用する。(2)以下略」との経過措置が設けられていた。

昭和五六年一一月一八日、就業規則が改正され、これに基づき定年規程が制定施行された。右定年規程二条には「定年に達したときは、定年に達した日以後における最初の三月三一日に退職する。」、同三条には「1 教授及び助教授の定年は年齢六五年とする。2 理事長は、学長が校務の遂行上特に必要があると認める者については、定年退職日後、任期及び職務を定め、教授(特任)として校務を委嘱することができる。ただし、その任期は、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して五年を超えることができない。」との定めがあり、その附則には、「2 現に定年を超えて採用している者及び理事長が指定する者の定年及び定年退職日は、この規程にかかわらず、それぞれについて理事長が定める。」との定めがある(以下「本件定年規定」という)。

4  債務者は債権者に対し、平成四年二月二七日、債権者が同年一月一九日をもって満六五歳に達したので、本件定年規程二条により、同年三月三一日をもって定年退職となる旨通知してきた。

二  争点

1  債権者は、昭和四七年二月一日債務者大学の教授に就任する際、債務者との間で、債権者の定年を七〇歳以上とすることを、雇用条件として合意したか否か。

2  その後本件就業規則により六五歳定年の定めがなされ、昭和五六年一一月一八日これが改正されて、本件定年規定が設けられたが、かような債権者にとって不利益な就業規則の制定及び改正定年規定は、債権者に対して効力を有するか否か。

3  本件就業規則制定後、債権者と債務者との間に本件六五歳定年規定を排除する旨の合意が成立したか否か、合意の成立が認められるとした場合、右合意と本件六五歳定年規定との効力の優劣。

4  債務者が債権者に対して、本件定年規定を適用して六五歳定年退職扱いとすることが、債権者と債務者間のそれまでの雇用関係及び債務者の本件定年規定等の適用状況に照らして、信義誠実の原則に反し許されないか否か。

5  予備的に、本件定年規定は、その形式的文言にかかわらず、制定の経緯等に照らして、債権者の定年は七〇歳と解釈されるべきものか否か。

第三争点に対する判断等

一  争点1(雇用契約と定年に関する合意)について

債権者は、昭和四五年一〇月ころ、債務者大学設立のため、教育等の求人業務に当たっていた中條名古屋大学教授から、定年は七〇歳以上であるから、教授として来て戴きたい旨懇願された。債権者は、当時化粧品会社の研究所の室長として勤務していたが、私立大学の教授となることにより、将来、長期に亙り安定して研究に従事することができるであろうとの考えから、これを承諾した。そこで債権者は、そのころ債務者に対し、「大学設置認可のうえは、医学科化学担当の専任の教員として、昭和四六年四月一日から就任することを承諾する。」旨の承諾書(<証拠略>)を提出した。その後債権者は、大学設置の認可が得られるかどうか危惧される状況のなかで、前叙のとおり債務者の設立準備委員として、大学設置認可を得るため化学教室の整備等に尽力し、債務者大学の教授に就任した。大学設置認可に当たっての右のような債権者の真摯な努力は、当時の債務者理事長太田元次(昭和四五年六月三〇日理事に就任、昭和五二年七月一〇日辞任)から高く評価され、同理事長からは「定年は七〇歳以上だから頑張ってくれ、七〇歳で退職させることは絶対にしない。」と言われたことが一応認められる(<証拠略>)。

これら事実からすると、債権者が債務者大学の教授に就任するに際し、債権者と債務者の間に、債権者の定年を七〇歳以上とする旨の合意のなされたことが一応認められる。

債務者は、こうした合意を証する書面がないことや、前顕承諾書(<証拠略>)中にその旨記載がないことから、右合意の成立は否定されるべき旨主張するけれども、右のような状況のもとにあった大学設立の際の雇用条件の確定に当たって、客観的書面等の存在を重視するのは必ずしも相当でないから採用しない。

もっとも、債権者と債務者間になされた右のような定年に関する合意は、右合意のなされた時点(これを昭和四六年四月一日とみるか、昭和四七年二月一日とみるかにかかわらず)では、債務者には定年等に関する規定は全くなく、又その素案等が準備されてもいなかったことに照らすと、将来制定される定年規定等の効力を当然排除する旨の合意までを含むものかは疑問であるのみならず、本件雇用契約は期間の定めのないものであることが明らかであることを考慮すると、いずれにせよ、右合意は定年に関しては定めがないことを確認する以上の意味を有するものではないようにも理解されるところである。

二  争点2(本件就業規則及び定年規定の効力)について

労働基準法その他の法令に従って管理運営されるべき債務者大学にとって、就業規則の制定が必要不可欠なものであること、そして大学の就業規則中に職員の定年退職に関する規定をおき、教授その他職員等の人事を画一的、円滑、効率的に管理する必要のあることは容易に認められるけれども、定年についての格別の定めなく雇用された債権者にとって、債務者により本件就業規則により新たに定年に関する規定が設けられたことは、債権者の雇用条件を不利益に変更するものであることは明らかである。しかし、本件就業規則により大学の教授の定年を六五歳と定めたことは、当時の殆どの一般企業における定年が五五歳ないし六〇歳と定められ、国公立大学教授の定年が六二歳と定められ、全国の殆どの私立医科大学における教授の定年が六五歳と定められていた(<証拠略>)などの定年制の実施状況に照らして、極めて常識的かつ妥当なものと認められること、制定時すでに定年を超える者、あるいは定年に近い者に対しては一定の救済措置を規定するなどの配慮を加えるなど、全体としてその合理性を十分首肯し得るものであることが一応認められる。

したがって、本件就業規則の定年に関する規定は、債権者においてこれを容認するか否かにかかわらず、債権者に対してもその効力を有するものというべきである。

なお、その後改正され、実際に債権者に適用されることとなった本件定年規定は、前叙のとおり、教授、助教授に関する限り、本件就業規則中の定年に関する定めを殆どそのまま受け継いだものであって、本件就業規則を不利益に変更するものでないことが明らかであるから、これが債権者に適用されることについて問題はない。

三  争点3(本件就業規則及び定年規定の適用排除の合意)について

(証拠略)によれば、前叙のとおり太田理事長は、債権者の教授としての力量及び大学への貢献度を高く評価し、その旨債権者やその周囲の者に話すなどしていたが、本件就業規則が制定施行された後である昭和四八年五月ころ、債権者に対して、「君は別格だ、定年まで年限が十分あるので、経過措置の取られた(名古屋大学を定年退職してきた)教授たちがおいおい退職し、大学が落ち着いてから、定年七〇歳の確認措置を取る。それ以前にやると、債権者が名古屋大学関係者でないため、これら教授たちのやっかみで、大学がやかましくなるから」と述べたこと、もっとも、右確認措置が具体的にいかなることを意味するのか、必ずしも明らかでないが、債権者の定年を七〇歳にしたことを学内に公表するとか、債権者にその旨の書面を交付するなどの行為を意味したものと思われる。その後昭和六三年四月ころから平成元年八月ころにかけて、本件定年規定の適用について不安を抱いた債権者が、太田理事長に自己の定年問題で協力方を依頼した際にも、同理事長は債権者に対し、「(債権者に対し)、『働けるうちは働いて貰うのだから、何も心配せずに研究せよ。七〇歳で辞めさせることは絶対しない。債権者は別格だからいずれ大学が落ち着いたら確認措置をとる。』と言ってある旨を、田内学長に電話で伝えておいた。」などと述べ、あるいは債務者事務局長に対し、「債権者の定年は七〇歳以上ということで来て貰った。」などと電話で口添えをしてくれたりしていることなど、債権者の主張に沿う事実が一応認められる。また、本件就業規則の定年規定によれば、前叙のとおり「理事長が必要と認めた者を除きすべての職員に適用する。」とされているとおり、理事長において、特定の教授について特別に右定年規定の適用排除の措置をとる権限を有していたことは当事者間に争いがない。

しかしながら、一般に、就業規則に規定された大学教授の重要な人事事項、それも特例に属する事項に関し、辞令その他の書面によることなく、口頭により合意が成立することは極めて異例なことというべきであるから、その成立については慎重な吟味を要するものと解されるところ、本件全疎明によっても債権者と同理事長との間に右合意の成立を窺わせる書面等これを客観的に明らかにする資料は存しない。のみならず、公益法人の理事長として、公明正大に大学の管理運営に当たるべき責務を負っていた太田理事長が、定年までなお二〇年を余す債権者に対し、自ら関与して本件就業規則により六五歳定年規定を設けたばかりの時点において、たとえ債権者に対して前叙のとおりの高い評価を与えていたとはいえ、経過措置等によることなく、債権者のみについて、他の教授らに内密にするような形で、右定年規定の適用を排除する意思を有していたとは考え難いこと、しかも、前掲疎明資料によれば、同理事長は、その後昭和五二年に理事を退任するまでの間に、右のような確認措置を取ろうとしたことはなく、また、退任に際しこれを後任の理事等に引き継ぐなどの措置を講じた形跡もないことが一応認められる。

以上の事実に照らすと、債権者と太田理事長との間に、本件就業規則及び本件定年規定に基づく定年に関する定めを排除する合意の成立したことを認めることはできず、かえって、(証拠略)により疎明される同理事長の前記供述のなされた際の状況等を併せ考えると、債務者代表者としての同理事長と債権者との間に、本件就業規則中の六五歳定年規定適用排除の合意の成立したことはなく、ただ、前叙のような供述は、同理事長個人として、自己がその時まで理事長の地位にあることを前提にして、将来、四囲の状況を判断のうえ、債権者に対し本件定年規定の適用を排除する措置を取る意向である旨を述べたにすぎないものと理解する方がむしろ素直というべきである。

四  争点4(定年扱いと信義誠実の原則の適用)について

これまで認定の債権者が債務者大学教授に就任し、新たに就業規則が制定され、その後債権者に対しなされた太田理事長の言動等の一連の経緯から、債権者が、本件就業規則による定年規定の定めにかかわらず、少なくとも七〇歳くらいまでは勤務できると信じていたことは容易に推測できるところ、前記大学設置認可条件となっている教授で就任当時六〇歳を超える者については、いずれも七〇歳までの定年延長措置が採られたことや、本件就業規則制定後中途採用された前顕中條教授外についても定年延長措置が採られていることは当事者間に争いがなく、債権者は同じく大学設置認可条件教授であり、債務者に対して多大の貢献をしてきたものであることは前認定のとおりである。

しかして債権者は、このような債権者の定年に関する信頼は保護されるべきであり、債務者が債権者に対し、本件定年規定を適用して六五歳定年退職扱いとすることは、信義誠実の原則に照らして許されない旨主張する。

しかしながら、(証拠略)によれば、右就任当時六〇歳を超える者の定年延長措置は、いずれも本件就業規則中の経過措置の規定によりなされたものであって、格別の取り扱いというわけではなく、しかも大学設置認可条件教授であっても、就任当時四一歳ないし五〇歳と債権者同様の若年齢の者については、大学付属病院院長の任期との関係で一年定年を延長した者一名を除き、いずれも六五歳をもって定年退職の取り扱いがなされていること、また、債権者が指摘する中途採用教授は、いずれも、債務者大学設立後数年を経ない草創期に採用されたものであり、採用時の年齢も六〇歳を超え六五歳の定年に近いか、すでに定年に達している者であることからすれば、定年を超えて採用することを雇用条件とした可能性も十分考えられるところであるが、更にこれらの者が定年に達した後は、債務者は本件就業規則二三条四項を適用して再雇用しており、こうした取り扱いは債務者大学の運営を円滑に行うためには必要な措置であって、その合理性も十分認められるものであること、その後昭和五六年、教授会の審議を経て、前叙のとおり本件就業規則が改正され、本件定年規定が設けられる過程において、右中途採用者の取り扱いについても考慮の対象とされたが、これらの者は定年規程六条但し書き及び同規程附則2に根拠をおくものであるとして、疑義等の出されたことはないこと、右の者のうち田内学長については、同規程六条但し書きにより更に定年延長の措置が採られていること、その後昭和六一年五月二八日、右規程六条が一部改正され、理事長が右特例措置を採るについて学長の推薦を要することになったが、定年を超えた教授の採用については、いずれも本件定年規定に則って運用されていることに変わりはないこと、以上の事実が一応認められる。

これらの事実に照らすと、債務者が本件就業規則及び本件定年規定を恣意的に適用してきたとか、債権者について差別的に適用するものであるといった事実は認められず、他に本件定年規定を債権者に適用することが信義誠実の原則に反することを窺わせる疎明資料もない。

五  争点5(予備的主張)について

本件就業規則及び定年規定の文言を、前認定の同規則及び定年規定の制定の経過、債権者・債務者間の雇用関係経緯並びに債権者の主張の経過に照らして検討しても、本件就業規則及び本件定年規定を債権者主張のように解釈することは不可能であって、債権者のこの点の主張は採用できない。

六  以上の次第であって、債権者の本件申立てはいずれも理由がないから却下することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 福田晧一)

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